昭和の名曲TBS 芹洋子「四季の歌」エピソード

「昭和の名曲」TBS「あなたが聴きたい歌の4時間スペシャル」で紹介されていた芹洋子さんの「四季の歌」が昭和51年にヒットしました。

荒木とよひさ 作詞作曲。

♪春を愛する人は心清き人~♪すみれの花のような僕の友だち~♪

番組の中で歌のエピソードを話していました。

それは芹さんが川崎で歌のコンサートをしていた時に、ある方が「芹さんにぴったりの歌があるよ」と教えてくれたという。

この歌はある病院の看護婦さんたちの間でよく歌われていた

というのは、荒木とよひささんがスキーで骨折して病院に入院している時に自分で作って看護婦さんたちに歌っていたと話していました。

骨折した荒木とよひさんが優しい看護婦さんたちに感謝の意味を込めて贈った歌だけあって

とても素直で優しい曲です。

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昭和の時代が懐かしく感じられる曲です。

徹子の部屋 伊東ゆかりさん 子育て 離婚 歌

3月27日の「徹子の部屋」ゲストは歌手の伊東ゆかりさん。

昭和22年生まれとは思えないほど若々しい。

60歳の手前になった時に電車の中で席を譲られ驚いたが、
そのことでまた頑張ろうと鍛えるようになったとか。

6歳の時に父親がバンドマンだっとことから父親に連れられて
進駐軍で歌うことに。

「スワニー」やペリーコモ、パティ・ページ、エディフィッシャー、
などを英語で歌っていた。

チョコレート、ケーキ、アイスクリームなどその当時
珍しかった食べ物をもらったこと、好きでもない歌を
歌っていたこともあかしていました。

あだ名が「ノースマイル」だったらしい。

6歳ですものねぇ~。

大人になってからも本当は歌うことは好きじゃなかったという。

本人はそう言いますが声も歌い方も素晴らしい!と思います。

歌をやめるには結婚しか無いと思い結婚をしたが離婚することに
なってしまった、と述べています。

娘には普通の生活を希望していたが。。。。

伊東ゆかりさんが32歳の時「徹子の部屋」のインタビューで

家庭生活に憧れていた」と言っているので当時は本当の気持ちだったのでしょう。

「今思うと、やり直せるかも・・・」と。

若いうちは、結論を早く出したがるのですね。

80年台に声が出なくなり、その後胆石の手術、90年台に
入り耳の耳小骨に異常が出て手術をしたという。

耳が治って聞こえた時の喜びを感じ、歌ってもいいかな
心から思えるようになったというのです。

素敵な歌、聞かせてもらいたいものです。

下記の案内、徹子の部屋で「お知らせ」がありました。

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みんなで昭和を歌おう!コンサート

公演日
2014年5月30日(金)
出演者
<司会> 松島トモ子
<ゲスト> 森昌子/伊東ゆかり/デュークエイセス
時 間
(1) 開場 14:00 開演 14:30
(2) 開場 18:00 開演 18:30

(EXシアター案内より抜粋)
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由紀さおりさん アメリカ1969 ピンク・マルティーニとの競演

今もなお美しい声で魅了する由紀さおりさん、

1969年にヒットした「夜明けのスキャット」
40数年後になってアメリカで再度陽の目をみることになりました。

ピンク・マルテイーニとの共演です。

幸運の裏には何倍もの努力が隠れていると思います。

由紀さおりさんは最初の結婚が20歳の時だった
ようで、この歌のヒットの頃と重なります。

本人がテレビのインタビューで、「海外の人に
とっても、その声が持つ音色が歌の意味を超えて
評価してくれていると実感している」

ルールルルル~♪の中になんとも言えない情感がこめられている気がします。

こんな由紀さおりさんでも「歌しかない人生は嫌だった」と言ってます。

しかし30代の高齢出産の可能性を残していた時に
子宮筋腫で手術を受け子供を産むことはできなくなって
しまったというのです。

薬を使わずお腹の痛みをこらえて歌っていたそうです。

あんなにきれいな声の裏には他人に言えない苦労が
あったのですね。

一時コントにも出ていた時期がありました。
お話があれば今でも出演する気だそうです。
年代とともに声に落ち着きが出てきたようですが
それにしても若くてすき通る声は老若男女に愛されています。