歴史の裏側には常に女性たちが大きな影響力を与えていました。
第二次大戦中の世界で女性が果たした役割は大きかったようです。
女優、マリリンモンロー
ノーマ・ジーンという名前で軍需工場で働いていた時に
写真に撮られたのがきっかけでモデルになる。
モンローウオークでも男性をとりこにしたマリリンの生涯は波乱に
満ちた。
1954年新婚旅行でジョー・ディマジオと日本を訪問。
当時は日本でも大きなニュースになったそうです。
1961年、アメリカ35代大統領ジョン・F・ケネディが就任。
当時31歳のファーストレディ,ジャクリーヌ・ケネディは夫のために尽くす良き妻。
当時、活躍していたジョンF・ケディと妻ジャクリーヌでしたがその間には
マリリンモンローがいたと言われています。
そしてアメリカに激震が走ります。それは、男性の理想像だったモンローは38歳でこの世を去り、その翌年1963年ジョン・F・ケネディはテキサス、ダラスで暗殺される。
アメリカが世界のトップの座を占めていた頃です。
大戦後のアメリカでは戦争帰還兵のための新興住宅ブームが起こっていました。
強いアメリカとなり、女性は仕事をやめ家庭に戻るようになった。
女性の居場所は家庭で育児に専念することだという風潮が高まり
その証拠に1953年美人コンテストが行われるようになった。
パリでは、1900年代、輝きを放つ女性たちがたくさんいました。
そして太陽の沈まない国、イギリスではヴィクトリア女王78歳の
当時のヨーロッパは豪華に着飾った貴婦人たちで溢れていました。
しかし帽子の留ピンやレースの花のペチコートを外すのに時間が
かかるほど女性の服はコルセットで縛られていました。
そんな中、ココ・シャネルは締め付けられた女性たちを解放したのです。
体を締め付けないファッションを確立したのです。
戦争中、ココシャネルはドイツ軍諜報活動家の愛人となっていました。
当時、シャネルの香水が爆発的に売れていたのですがその経営権をユダヤ人
に渡してしまっていた。
マリリン・モンローはシャネル5番を使っていたと言います。
スパイと騒がれたシャネルは売国奴と罵られ、戦後の数年間スイスに亡命。
晩年、「自分の服を着た女性は美しかった」とシャネルは話しています。
生涯独身、87歳で逝く。
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1920年代、映画も始まり名女優が銀幕を飾るようになり化粧師マックスファクターが女優のために活躍し、美顔術、パーマが発明された。
世界のリーダーに躍り出たアメリカ、次々に発明される電化製品、通信販売がこの頃始まったそうです。
**出典:世界を変えた女性たち(映像の世紀BSプレミアム)**