縄文人も食べていたお米
私たちが主食としている「お米」は縄文時代から連綿と受け継がれているものです。
縄文時代の土器に米が使われていた形跡が残っているということから米作が行われていたことが分かるそうです。川に遡上してきた鮭も食べていたようです。
食に恵まれていた縄文人は美味しいものを知っていたのかもしれませんね。
神が宿る
お米は単に食物としてではなく神が宿るものとしてお供えや清めの具として使われてきました。
お米に宿る強い力を身体に受けようとする私たちの切なる願いが現れています。
(奈良、春日大社内にある植物園の説明から)
春日大社植物園にて
昔の人たちが食用として作っていた「きび」(きびだんごのきび)
お米で一番収穫量が多いのがコシヒカリ
農林水産省のページを見ると、日本のほとんどの県でコシヒカリが作られています。
中でも新潟県産コシヒカリが一番知名度があります。
棚田
山の傾斜地に作られる田んぼを棚田と呼びます。
傾斜地での仕事は重労働になります。
見る分には美しいのですが作業する場所としては苦労が多い場所となっています。
人々の協力が必要な農作業
例えば、田んぼに水を引く作業は必須作業ですが、自分の田んぼだけにというわけにはいきません。
現在では農家組合があり、協力し合いながら時期などを見て田んぼに水を入れます。
村八分という言葉があります。
江戸時代には、村の掟を破った者に対して排除するということをしていました。
早く言えば仲間外れということですが、村の人たちの協力がないとうまくいかなかったことが分かります。
縄文時代の大昔から、輪になって広場を囲むようにして生活をしていたことが各地の遺跡から分かっていることです。
協力があってこそ美味しいお米が食べられているのですね。