日本のシンドラーと呼ばれた外交官、杉原千畝の功績

日本のシンドラーと呼ばれた外交官、杉原千畝の功績を私たち日本人はもっと知らなければと思います。
シンドラーとは、第二次世界大戦中に千人強のユダヤ人を救ったドイツ系のオスカー・シンドラーという人の名前。

杉原千畝は岐阜の山奥(八百津町、自然に恵まれた山間地域)から出て早稲田で学び、外交官になった人でロシア語、ドイツ語フランス語に長けていたと言われています。

東宝映画「杉原千畝 スギハラチウネ」(2015)の中で杉原自身「人の世話にならないよう、お世話をするように、そして報いを求めぬように」という言葉通りの人だったようです。

第二次世界大戦中に、自分の信念を貫きユダヤ人に命のビザを発給した外交官、杉原千畝は1985年1月18日イスラエル政府より「諸国民の中の正義の人賞」を受賞している。

日本国が発給してくれれば、迫害されている自分たちはソ連を通って逃げられるという切実な願いがあり、それをかなえてあげたことでその子孫たちに感謝され続けています。

すごい日本人ですね。

映画の中では
「ユダヤ難民を見捨てるわけにいかない、ポーランド攻勢でヒトラーは勢いづいているが同盟を結んでいるドイツだってソ連に侵攻すれば日本のために動いてくれることはない」そんなことも危惧していたのです。

リトアニア、カウナスの日本領事館で2139枚(一家に一枚、約6000人)のビザを発給していたという事実、そしてそのビザ発給で救われた人の子孫が世界中で4万人以上生存しているという。

2000年10月10日に外務省が公式に杉原千畝の功績を顕彰している、そういう功績を見て真の外交官魂とはこういうものだと感動しました。

昭和16年、ソ連を通って船で福井県鶴賀沖に着いた難民たちは今までの緊張から安堵に変わり、子供たちは船から降りると跳ね回っていたという当時を知る老人の話をTV番組で紹介していました。当時は日本も戦火の中でした・・・・・

こんなに立派な日本人がいたのに学校では教えてもらわなかったのは不思議です。