日本を代表する東芝に立て直したことで知られている土光敏夫さん、
「公私を峻別しつねに身ぎれいな生き方を」モットーにしていました。
国の為、行政改革を成功させたのは「メザシの土光さん」だったからでしょう。
無駄なお金は使わない質素倹約を絵に書いた人だったという。
社では幹部に厳しかったが従業員の首は斬らない社長でした。
と「母の力」(文藝春秋 出町 譲著)に書かれています。
そんな偉大な土光さんを育てた母親はどんな人だったでしょう。
片手授乳し片手で本を読んでいたという。
名は土光登美、明治4年岡山県生まれ。
土光氏が「母は非常に強い意志を持っていた。子供に対しては実に寛大で・・・母は全てを許してくれた」と述べています。
登美さんは60歳くらいの時にピアノを習い、琵琶や謡曲を習ったという。
70歳になってから神奈川県鶴見に橘女学校を創設しています。
「どのお子さんにも入学しtもらいましょう、」と差別のない教育を目指していました。
土光さんのことを「コツコツと頑張り、会社では出世している」と語っています。
こつこつ頑張る力は母に教えられたのでしょう。
「東芝」という会社を見れば土光さんの偉大さが分かります。
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大企業にもいろいろな事情があるようです。
土光さんが今、生きておられたら・・・・・
東芝が今、2017年現在、苦境に立たされていますが、先月NHKでフラッシュメモリー生みの親が東芝の社員だったというドキュメンタリーを放映していました。
いまでは当たり前になっているパソコン、携帯電話など多方面で使われているメモリーチップですが30年かかったと開発者の言葉です。
世の中に出るまでの苦労話、上司とのコミニュケーション不足などが語られていました。
当時の東芝の利益はメモリーカードのお蔭だったとも。
もう一度そんな東芝として蘇ってもらいたいものです。