昭和の名曲 ペギー葉山 学生時代1964年

ペギー葉山さんの「学生時代」は昭和39年(1964年)にヒットしました。

この年は東京五輪が開催された年で東海道新幹線が開通し日本が高度経済成長期に入っていました。

今では聞いても珍しくない「カギッコ(鍵っ子)」という核家族を象徴する単語が使われました。

世の中は戦後の復興の希望に燃えていたので歌までも明るい歌が多かった。

ペギー葉山さんの歌唱力は昔から評判。

現在の年齢を聞いてもピンと来ないほど若々しいしお肌は(テレビで見る限りですが)見ていて気持ちいいです。

ご主人(根上淳さん)を介護している間、テレビから遠のいていましたが看取ったあとTVに出演されています。

ペギー葉山さんも天国に召されましたが素敵な歌は永遠に残るでしょう。

 

昭和の名曲TBS 芹洋子「四季の歌」エピソード

「昭和の名曲」TBS「あなたが聴きたい歌の4時間スペシャル」で紹介されていた芹洋子さんの「四季の歌」が昭和51年にヒットしました。

荒木とよひさ 作詞作曲。

♪春を愛する人は心清き人~♪すみれの花のような僕の友だち~♪

番組の中で歌のエピソードを話していました。

それは芹さんが川崎で歌のコンサートをしていた時に、ある方が「芹さんにぴったりの歌があるよ」と教えてくれたという。

この歌はある病院の看護婦さんたちの間でよく歌われていた

というのは、荒木とよひささんがスキーで骨折して病院に入院している時に自分で作って看護婦さんたちに歌っていたと話していました。

骨折した荒木とよひさんが優しい看護婦さんたちに感謝の意味を込めて贈った歌だけあって

とても素直で優しい曲です。

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昭和の時代が懐かしく感じられる曲です。

ブッダの教え 悟り 「おもてなし」を受ける 釈迦の教え

NHKアーカイブス1995年の番組で印象に残った場面があったので書き留めました。

釈迦が故郷へ向かう旅の途中での話であり、死を直前にして人々に残していった言葉を探ります。

インド哲学者の中村 元氏、きき手は草柳 隆三氏。

インドでは植物をまるで自分の仲間で生あるものとして樹木を愛する。

そして大きな樹木があるとそこに塚を作り神が宿るとして大切にする。

晩年、80歳のブッダ(釈尊)は
「世界は美しいもので人間の生命は甘美なものだ」といって思い出の地をゆっくり眺めながら別れを惜しんだ。

釈尊はインドのカースト制度の中で、上下の隔てなしに人に接した。

旅の途中で(下層階級の人間)チュンダが釈尊に「おもてなし」をしようと食事を差し上げた。

釈尊はその申し出を快く受けたというのです。

しかし、その食物にあたってしまったようです。(今で言う赤痢のようなもの)

チュンダは自責の念にかられた。
釈尊はもてなしてくれたチュンダを責めることなく

思いやりの言葉で「意義深いものであった」と言われたという。

旅をするに連れ随分衰弱してきた釈尊は愛弟子、アーナンダに「喉が渇いた、水を飲みたい」と言う。

人間ブッダが苦しまれている。

生まれ故郷に辿りつけず旅の途中でアーナンダに「サーラ樹(沙羅双樹)の間に頭を北に向けて床を用意してくれ」と言う。

愛弟子の方が悲嘆にくれていると「生あるものは破壊されるものである。」と釈尊が叱咤激励する。

「私が伝えた言葉が死後にお前たちの師となる」と諭した。

民族、宗教を超えて釈尊の言葉に耳を傾けると同感することがあると哲学者 中村 元氏は述べています。

健康名水【浸みわたる水素水】

伊良湖岬 菜の花 

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島崎藤村の「名も知らぬ♪遠き島より流れ寄るヤシの実ひとつ、ふるさとの岸を離れて・・・・・」という詩があります。

どこから流れてきたヤシの実でしょうか。今では立派な伊良湖で育ったヤシの実になっています。伊良湖岬から眺める春の海、太平洋の穏やかなこと。

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春の海でサーフィンをする若者が結構たくさんいます。

有名人もここへ波乗りに来るらしい。

この時期、菜の花が咲き誇りヤシの木とのアンバランスが面白い。

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ヤシの実と菜の花、他では見られない光景です。

チュリップも咲いていました。

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葛西紀明 レジェンド ソチ五輪 41歳 人生

葛西選手のソチでの活躍は記憶に新しい。

その葛西選手をNHKが取材、インタビューから葛西選手の人間が見えてきます。

海外の選手に「その年でよく頑張っているね」と声をかけられている葛西選手、

そう、40歳を過ぎて戦っているのは世界でただ一人、葛西選手だけだそうです。

やはりレジェンドですね。

16歳の時に天才選手として注目を浴びたが過去オリンピック
7回出場したがメダルに届かなかった。

ソチで銀メダルを獲得した時には40歳を越えていた。
今が一番充実しているというだけあって「余裕」があるという。

気持ちの余裕によって強い葛西になったのかもしれない。

長野オリンピックの悔しさを胸に頑張ってきた葛西選手。

ソチでは団体戦でも銅メダルを獲得しました。

仲間は難病を抱えての出場、膝が痛いのをこらえて出場と

それぞれが不安を抱えながらの出場でしたが見事に銅を獲得しました。

見事なものです!

今後もあらたな伝説を作ってほしいものですね。

徹子の部屋 伊東ゆかりさん 子育て 離婚 歌

3月27日の「徹子の部屋」ゲストは歌手の伊東ゆかりさん。

昭和22年生まれとは思えないほど若々しい。

60歳の手前になった時に電車の中で席を譲られ驚いたが、
そのことでまた頑張ろうと鍛えるようになったとか。

6歳の時に父親がバンドマンだっとことから父親に連れられて
進駐軍で歌うことに。

「スワニー」やペリーコモ、パティ・ページ、エディフィッシャー、
などを英語で歌っていた。

チョコレート、ケーキ、アイスクリームなどその当時
珍しかった食べ物をもらったこと、好きでもない歌を
歌っていたこともあかしていました。

あだ名が「ノースマイル」だったらしい。

6歳ですものねぇ~。

大人になってからも本当は歌うことは好きじゃなかったという。

本人はそう言いますが声も歌い方も素晴らしい!と思います。

歌をやめるには結婚しか無いと思い結婚をしたが離婚することに
なってしまった、と述べています。

娘には普通の生活を希望していたが。。。。

伊東ゆかりさんが32歳の時「徹子の部屋」のインタビューで

家庭生活に憧れていた」と言っているので当時は本当の気持ちだったのでしょう。

「今思うと、やり直せるかも・・・」と。

若いうちは、結論を早く出したがるのですね。

80年台に声が出なくなり、その後胆石の手術、90年台に
入り耳の耳小骨に異常が出て手術をしたという。

耳が治って聞こえた時の喜びを感じ、歌ってもいいかな
心から思えるようになったというのです。

素敵な歌、聞かせてもらいたいものです。

下記の案内、徹子の部屋で「お知らせ」がありました。

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みんなで昭和を歌おう!コンサート

公演日
2014年5月30日(金)
出演者
<司会> 松島トモ子
<ゲスト> 森昌子/伊東ゆかり/デュークエイセス
時 間
(1) 開場 14:00 開演 14:30
(2) 開場 18:00 開演 18:30

(EXシアター案内より抜粋)
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NHK連続小説「花子とアン」 村岡花子 赤毛のアン

赤毛のアンを中学生向け英語版で読んだことがあります。

両親が亡くなり、孤児院に預けられていたアンが、ある家庭に
引き取られることになった。

引き取られる家主を駅で待つシーンから物語が始まっていました。

アンが一人で待っていても引き取り手が来ない。
そして心細くなってくる・・・

そこへ引取手のマシュウが「男の子」を探してやってきたが、
待っていたのは女の子だった。

アンの気持ちはいかばかりか・・・

アンが男の子でなかったことに少し驚くが一方、アンはマシュウが
素朴で思いやりのある人だったので安心する。

そしてアンはマシュウ伯父さんやおばさんと仲良く
暮らすために努力をしていくのです。

その生活の中でおきる様々なことがアンを通してちょっぴり寂しく、
でも明るさを忘れないアンの姿が描かれています。

舞台となったカナダのプリンスエドワード島の
様子も描かれていて引き込まれてしまいます。

そんな「赤毛のアン」を翻訳した村岡花子の
波瀾万丈の人生がNHKの連続小説になったんですね。

とても楽しみです。

NHK連続テレビ小説「花子とアン」

原案 村岡恵理

出演者
吉高由里子,伊原剛志,室井滋,石橋蓮司,仲間由紀恵 他

3月29日8:50~9:00もうすぐスタート「花子とアン」
3月29日23:00~23:45あなたが主役50ボイスSP
「連続テレビ小説「花子とアン」”ボイス」

3月31日8:00~8:15連続テレビ小説「花子とアン」スタート

由紀さおりさん アメリカ1969 ピンク・マルティーニとの競演

今もなお美しい声で魅了する由紀さおりさん、

1969年にヒットした「夜明けのスキャット」
40数年後になってアメリカで再度陽の目をみることになりました。

ピンク・マルテイーニとの共演です。

幸運の裏には何倍もの努力が隠れていると思います。

由紀さおりさんは最初の結婚が20歳の時だった
ようで、この歌のヒットの頃と重なります。

本人がテレビのインタビューで、「海外の人に
とっても、その声が持つ音色が歌の意味を超えて
評価してくれていると実感している」

ルールルルル~♪の中になんとも言えない情感がこめられている気がします。

こんな由紀さおりさんでも「歌しかない人生は嫌だった」と言ってます。

しかし30代の高齢出産の可能性を残していた時に
子宮筋腫で手術を受け子供を産むことはできなくなって
しまったというのです。

薬を使わずお腹の痛みをこらえて歌っていたそうです。

あんなにきれいな声の裏には他人に言えない苦労が
あったのですね。

一時コントにも出ていた時期がありました。
お話があれば今でも出演する気だそうです。
年代とともに声に落ち着きが出てきたようですが
それにしても若くてすき通る声は老若男女に愛されています。

「和食」の魅力 鰹節 だし BSクールジャパン

 

3月16日BS番組「COOL JAPAN」はタイトルが「和食」でした。

特にかつお節(dried bonito)のできる様子が事細かに説明されていて、その工程が

日本人でも知らない(と思われる)ことが多く、外国人だけでなく私たちにもいい勉強になります。

ということで、番組の中で、焼津市を訪れたイギリス人男性がかつお節をみて、

feel like woodだと最初の感想を述べていました。

そう、木のように見えてしかも木のように硬いのです。

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かつお節は室町時代にはすでに作られていて江戸初期に広く紹介されたようです。

江戸初期であれば一般庶民の口には入らない貴重なものだったに違いありません。

蒸したり、形を整えるために手を加えたり、何度も何度も繰り返し燻す。

5ヶ月後にやっと ”finally completed” で世に出るということです。

かつお節を削る様子を見て

It sounds like “sha sha sha”と外国人が表現していました。

シャッシャッシャという削り節の音は日本人の私達でさえ最近聞かなくなりました。

出来上がったものが袋詰めされて市場に出ているので削る機会が無くなってしまいました。

「だし」から出る旨味が和食の特徴ですが、うまみ」というカテゴリーが

自分の中に加わったと外国の女性が述べていました。

「うまみ」は和食の原点ですからね。

異口同音に「和食」はhealthyだと。

出演者は徳島の「つまもの」にも興味を示し、まさに日本料理が「自然」と一体と

なっていることを知ったようです。

これこそがJapanese cultureなんですね。

徳島の「おばあちゃん」たちが18年前に始めたビジネスが実を結び、今では

パソコンやタブレットを片手に一流料亭に届けるつまもの作りに頑張っています。